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2006 12,08 23:04 |
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本当にお待たせしました~!
3ヶ月振りの日記更新です! 内容は今から4ヶ月前からのことを書かねばなりません。 今回は何が何でもこの更新で今日までの出来事を振り返りたいです。 本当に色々なことがあった。 毎日があまりにドラマティックでした。 一言では終えられない日々ですがそこを出来る限りグッとこらえ、どんどん振り返りましょう。 いずれ写真付きで再度更新しますが、まずは文章を更新します。 ●8月中旬 青山でのワークショップの後、「天守物語」の台詞稽古の日々。 そのほか諸々の荷づくりに追われた。 この頃のスケジュール帳を見ると連日分刻みで誰かと会って打ち合わせ&取材諸々があった。 暑かったよなあこの頃…。人形劇団プークの「くまの子ウーフ」を観て感激していたのもこの頃。本当に心温まるイイ作品だった。 ●8/19(土)名古屋入り 前日に使用道具の大まかな組み立てを済ませておく。 ●8/20(日)北なごやパペットフェスティバル出演当日 他劇団との連続公演。入れ替え時間が短かったので必死に仕込んだ。 そんなときに限って照明が球切れ!ウギャッ! 本当にハロゲンはデリケート。無事電球を交換。 この私の公演、整理券が数分で無くなったらしい。 本当にありがたい。並んでくださって本当にありがとうございました。 天井の低い会場ではありましたが、あたたかなムードで和やかに進みました。 終演後、バラシを済ませた後、岐阜公演に向けてのミーティング。 約1ヵ月後に迫った岐阜県内での子ども向け10公演、2ワークショップ、大人向け1公演というややこしいスケジュールをじっくりと確認した。 ●8/21(月)~23(水) 帰京後は「人形劇団ばびぶ&てぶくろ」さんとのジョイント公演に向けて大忙し。 うちの事務所での主催ということもあっててんやわんや。公演数が多いため動員を増やすべくPR活動、当日パンフの原稿執筆、その他打ち合わせ、雑務諸々…。そして「よだかの★星」の稽古、稽古…。DM発送や「ばびぶ」さんのCDづくりもこの間に頑張った記憶あり。 ●8/24(木)「人形劇団ばびぶ&てぶくろ」さん来京。 一応私が公演のプロデューサーなので、稽古を観せて頂く。幾つかの改良を加え更に素晴らしい作品になった。彼女達の紹介はウェブサイトの過去の公演コーナーの解説をご参照いただきたい。前日に舞台仕込みを済ませる。 ここで!私は生涯初めて、舞台の現場で怪我をしてしまった。 足の指に皹(ひび)が入ってしまった。不覚だ。 闇の中、舞台の先にまだ舞台があると思い込みピョンと跳んだ先が客席部分…。 柔軟なバレエシューズを履いていた私の足。その指を背伸びの逆方向にグイッと曲げこんでしまったのです。ショックでした。 実は3ヶ月経った今も尚痛い。 ゆっくり治療をする時間がないのだ。 あまりの痛みに、ドクターストップになることはほぼ確定状態。 病院を恐れ、痛みに耐え、このジョイント公演と、それにひきつづくアゴラ公演&ワークショップをしっかり行った。 その後病院でレントゲン…「骨折してますね。よく動いてましたね。」とのこと。 病院では今、皹も骨折として扱われるらしい。 思い起こせばこの怪我をした日、札幌から劇団をお呼びしてその諸々の手配やお世話、そして公演準備のあまりの忙しさにかまけて、いつも小屋入りしてすぐに行う「お祈り」を怠ってしまっていた。どんな精神状態であったとしても、その劇場の神様や作品の原作者やご先祖様、その劇場や建物をつくった人に頭を下げお祈りしなくてはいけない…そう決めて最近のステージを毎回迎えていた。この日はそのお祈りを怠ってしまったのだ。あまりにせわしない精神状態に神様が忠告をしたのだろう。 ●8/25(金)~27(日) なんとか、テーピングやら冷やすやらで処置を施して3ステージ演じきった。 「ばびぶ&てぶくろ」さんの演技も回を増すごとに素晴らしくなり、毎回涙するお客様が多数。ラストステージでは声を上げて泣かれているお客様まで。 お芝居の感動と、この公演が実現出来たことの喜びと感謝で私も込み上げずにはいられませんでした。「よだかの★星」も足の痛みがあったものの、3ステージじっくり丁寧に演じることが出来ました。 公演後片付けを済ませロビーで交流会。 その後、六本木のスイートベイジルへ。事務所が主催しているコンサート「関定子ソプラノライブ」へ人形劇団てぶくろのサッチャンと共に行く。バラエティに富んだ素晴らしい歌の数々に何度も鳥肌が立った。終演後ピアノ伴奏をなさっていた呉さん(サロメを一緒にやっている方)らと過ごしつつ、六本木で翌日のクラルテさんお贈りする花を買う。 翌日、人形劇団クラルテの「ハムレット」の公演にチラシ折込作業、そして観劇。 いやはや大変な作品だ…。 夜は交流会に足を運ばせていただく。 ●8/28(月)~9/3(日) アゴラ劇場でのマリーに向け、準備と稽古に追われる。晩夏から晩秋にかけての地方公演ラッシュに向けての準備もこの頃におおかた手をつける。つくりたいことや課題は山ほどあるが最近は大分「締め切り」というものに追われなくなった。多くの方の助けのお陰。 ●9/4(月)~6(水) 「毛皮のマリー 人形劇版」 こまばアゴラ劇場公演。 お蔭様で全公演完売。 この期間中の追加公演も考えられたが、足の怪我を考慮して断念。 その代わり11月に晦日ロングランの追加公演として開催することになった。 3年前の初演の頃、どんなに宣伝しても始めはお客さんが入らず、3人や5人の前で2時間演じました。口コミで観客は増え、最後の方は立ち見が出る程でしたがそれは今よりもずっと小さな会場でした。大人に人形劇を観てもらうことに可能性を感じつつも、それ以降も大人のための人形劇の動員には毎回苦労苦労。今回の「毛皮のマリー」は今年に入ってプーク人形劇場でも既に数回演じているとあって、このアゴラ劇場公演では毎回数人の前で演じる覚悟でいました。それがどうでしょう。 観たくても観られない人が出るほどの盛況振りでした。 3人の前で演じていた過去を思い出すと、この3日間の満席の客席は、幻をみているかと思うほど不思議な光景でした。そしてそれには不思議なエネルギーがありました。 諦めずにこの活動を続けてゆこうとまた決心させてくれたこのアゴラ公演。 さて初日、噂でご存知の方もいるでしょうが初日の舞台の架橋に入る場面で火災報知機が響き渡ってしまいました! その様子はたくさんの方々がご自身のブログで大変詳しくレポートしてくださっているようで、そちらのほうがよくわかるとは思いますが…。 とにかく私は芝居を最後まで続けました。 過去に本番中のトラブル色々ありました。停電、チャイム、館内放送、どっかの部屋のカラオケが流れ込んでくる…などなど。 しかしどんなことがあっても芝居は止めずに演じきってきたものです。 どんなトラブルも自然なことのように受け入れ演じてきました。 なので今回のトラブルも初めは私はさほど驚かなかったのです。これが舞台ですから。 しかしあまりにそのベル音が長かった。最後まで鳴りつづけたのです…。 初めはアドリブでかわしていたベル音。舞台監督も「ジョウくん僕にも内緒でこんなこと仕込んでいたの?」と思うほど。 しかしあまりに長くつづくベル音に舞台裏では表方スタッフが大慌て。 上の階、下の階を行ったり来たり、セコムが来て大騒ぎだったらしい。 マネージャーさんは当然私が芝居を続けられずに止めていることだろうと思い客席横の扉をガバッと開けたそうな。 しかし私は芝居を続けていたのです。 この日だけのマリーの台詞(寺山修司様、どうかお許しください) マリーが過去の自分を語る場面で非常ベル。 マリー「ちょいと、何なの? 何なのこの音は! これじゃあ話が続けられないじゃないの!」 マリー「あたしの話のつづき聴きたい?どうしても聴きたい?」 という台詞に続き、お客様が拍手をしてくださった。 マリー「どんなことが起きても、何があっても話つづけるわよ!」 と言って芝居続行。 非常ベルが鳴り響く中、私は演じつづけた。 不快に感じさせてしまったお客様には申し訳ない。 しかし一度生まれたひとつの世界を止めるわけにはいかない。 ほとんどのお客様はそのベル音が鳴り響くことを自然なこととして受け入れ、お芝居の世界に私以上に入り込んでいたことを肌で感じた。 本来であれば、劇世界の余韻に浸ってお帰りいただくため、終演後はカーテーコールでも一言も喋らずに終わる「毛皮のマリー」。 しかしこの日は急遽、謝罪カーテンコール。 劇場の館長であり、劇作家・演出家の平田オリザさんも舞台に登場。 私とお客様に謝罪をしてくださった。「平さんの毛皮のマリーを本来のカタチできちんとまたご覧頂くため、入場料の払い戻しをします」ということに。 しかしありがたいことにほとんどのお客様が、払い戻しはいりません…十分楽しみました…かえって凄い芝居を観れた…。などと払い戻しを断る方が多かった。 不快な思いをさせてしまった方には申し訳ない気持ちでいっぱい。しかしどうか、この夜のこの公演も、ひとつの思い出として胸に留めてくださったら嬉しい。あの日、あの時間の中で私も、そしてジョウズグループのスタッフも出来る限りの最大の努力で公演を進めました。 どうかご理解ください。 結果、非常ベルの原因は上のアゴラ事務所にて、アゴラの方が魚を焼いていて、その煙が反応して火災報知機が鳴り続けていたそうな。いやはや何とまあ…。 改めて、劇場の劇空間という場所の繊細さを実感させられました。 さてこのアゴラ公演の2日目にはワークショップもあった。 予想を上回る参加人数、見学者もあのアゴラ劇場の席がほとんど埋まる程。 これが大変好評で皆さんにお喜び頂くことができた。 アンケートも回収率100パーセント。 みなさんびっちり沢山の感想。嬉しい。 実際、非常に楽しいワークショップだった。 まずはごあいさつに、「ハンドラブ」をケコミ(隠れるつい立て)の前からと後ろからをご覧頂く。 そして人形操演の全体的な心得と体の捌き方にこだわった心得の実演。 私の実演を皆さん目を皿のようにして爛々と輝かせながら興味津々に大注目でよくよく観てくださった。やりやすい。 実技応用実践ではそれぞれの個性が光り楽しかった。大ハシャギな私。 質問も多く飛び交い、もっと皆さんと過ごしていたかった。 最後の感想コーナーで、三重からいらしたという主婦のご婦人、「父ちゃん、行ってくるよ…」と言って、勇気を出してバスに乗って来て下さったのだとか。来た甲斐があったというそのお話をする様子に場内全体が込み上げてくるムード。ウルウルしてしまいました。 こんな感想を頂くと、ふとした気持ちで「辞めたい…」とか思ってしまってはいかんな…と思わせてくれました。 ●9/7(木)~27(水) アゴラ公演の翌日9/7はこれから公演を控えている「天守物語」の原作者、泉鏡花さんの命日。 墓地にまで伺うことは出来なかったが、事務所近くのお寺へゆき、アゴラ公演の無事終了のお礼と鏡花さんへのごあいさつと今後の無事を祈った。 そしてやっと病院へ(その様子は上記8/24あたりの日記参照)。 本格的な立ち稽古が出来ず。「天守物語」は読み稽古中心で。しかしこれが物語の理解をじっくりと深められた。「サロメ」のピアノとの合わせ稽古は泣く泣く延期、延期に。 年末のクリスマスコンサート、来年3月の「朝日カルチャーセンター」での講座などの打ち合わせもこの頃に始まった。 「天守物語」に向けての演出会議もこの頃に本格始動。昨年の悔しさを全て挽回すべく話し合いが持たれた。私のオリジナル作品の絵本制作プロジェクトもいよいよ始動した。道は長いだろうが楽しみな仕事だ。お彼岸にお墓参りに行けなかったことが悔やまれる。事務所近くの不動明王のお寺に度々足を運びお参りした。 ●9/28(木)~10/1(日) 岐阜県内ツアー2006第一弾 シアタースタート事業として ダンボール人形劇場「お花のハナックの物語」の10公演、 そしてワークショップ、プラス大人向け公演などなど、岐阜県内での企画が目白押し。 まず第一弾は短期滞在。本巣北→羽島→神戸池田。 どの会場も劇場初体験の子ども達が多い。 本当に楽しく魅力的なツアーだ。 どの会場でも素晴らしい子ども達の笑顔に出会えた。 そして本当に多くのことを学んだ。そして子ども達から多くのことを教わった。 このツアーの感想は下記11月の第二弾のツアーレポートへつづく。 ●10/2(月)~8(日) 岐阜県からの帰京後、休む間なく「あい・ぽーと」にてクリスマスコンサートの企画会議。 素敵なコンサートになりそお。そしてすぐに「サロメ」の稽古。ピアノとの合わせ稽古。これが精神的にハード。とにかくピアノアカンパニストの呉さんの凄まじい表現力に負けそうになる。自分の表現のあり方を試される瞬間だ。九州行きの準備、荷造り。 10/5(木)九州行き。 まずは福岡へ、ここでしか会えない何人かの人と会う。 新たな素晴らしい出会いもあった。 この日は福岡で一泊。 翌日6(金)、佐賀県は北方へ移動。のどかな田園風景。 小屋入り、リハーサル。 その後交流会。 この日は十五夜、中秋の名月。空は快晴。 月がいつもよりも大きく見えた。いつもより明るく見えた。 何と麗しいお月様。しばらく眺めてしまいました。 7(土)本番当日。 私はギリギリまで何度もリハーサルをした。 稽古の甲斐あってかなりの水準まで演技をつくりあげることが出来た…と実感したが、なんと本番、サロメが被っていたヴェールがひっくり返ってはだけてしまい人形のお顔がラストを前にベロリ…。 あまりに悔しくて芝居を止めそうになってしまった。創り上げた演技のプランは全て台無し。しかしもう音楽は止められない。そして真剣に観て世界に入り込んでいる観客の心も止められない。舞台上で芝居のプランをガラリと変えた。新たな演技をたくさん取り入れ踊りを進行した。 これが怪我の功名だったのか、その失敗により取り入れた即興の演技に涙が出たという声が多かった。私はあまりのアクシデントに落ち込んでいただけに励まされた。 この日を機に鬼のように稽古するようになった。 センスや雰囲気だけでは務まらない舞台という現場の恐ろしさをまた実感し、次への大いなるやる気を芽生えさせてくれた北方公演だった。 ●10/9(月)~31(火) お蔭様で、再演の「天守物語」、公演1ヶ月前にしてほぼ完売状態。 本当にありがたい。九州からの帰京後、ひたすら「天守物語」の稽古。 いくら稽古しても足りないくらいの壮大なストーリー、膨大な台詞。 鬼のように稽古しました。 毎日スタジオを借りるわけにはいかず、告白してしまうと、事務所の洗面所にて何度も何度も稽古をしました。台詞を吟じては、限られたスペースの中でイメージトレーニング。 ビデオや音源に頼るのは主義ではなかったが、期間的にそうも言ってられず、音源にて、食事のときも寝る前も、起きてすぐもひたすら台詞を聴いた。聴いて、聴いて、聴いてイメージを膨らまし、吟じて、吟じて、吟じて自分の体にその役柄の感情を染み込ませていった。 意識朦朧とフラフラになりながらもひたすら稽古をした。 そして、何人もの人にプロンプを付き合ってもらった。 自然に演じれていない部分は何度も繰り返した。 昨年は人形制作や小道具制作に追われ追われて、正直、芝居はまだこの世界を責任もって演じるだけの水準に達していなかった。舞台上で手に台本を持ちながらの朗読劇的構成でまとめたが、私として悔しい演出だった。 この美しくドラマティックな台詞をもっと生々しく深く豊かに表現したい。 そんな思いから、今年は全登場人物の全台詞を覚え演じた。 壮大な作業だったがこんなに幸せでありがたい作業があるだろうか。感情の分析が出来る度にまた台詞が体に染み込んでくる。 大河ドラマのような難しい言い回し数々だが、一度台詞が入ると舞台上で吟じたい激しい衝動に駆られた。人の感情の奥ゆかしさや瑞々しさをこれほど言葉で豊かに表現できる言語があるだろうか。日本人であることの幸せと誇りを感じながら本番を迎えた。 慣れているマリーとは違い、仕込みには時間がかかりそうだったが、照明さん、舞台監督さん、と大ベテランのスペシャリストが揃い、大変手際よく進んだ。 ディフュージョン(煙マシーン)も今回初めて取り引きする企業から借りたがこれの調子がイイ! 煙具合が非常に良く、現場で大好評だった。 細部に渡る光の指示も最後まで要望を受けてくださった照明さん(心の中では呆れていた?)に感謝。 そして何から何まで良くなるように手配と準備を進めてくださった舞台監督さんに感謝。 さて超緊張の本番。とうとうこの日が来た…。懸命に気を落ち着かせ、舞台に上がった。 なんとあたたかい観客。その素晴らしい眼差しに支えられ、休憩なしの2時間、無事演じきりました。 激しい体力消耗でした。 特に富姫夫人と姫川図書之助の場面はかなりの集中力と呼吸の仕方への気遣いが必要でした。 片方の気持ちが治まりきらぬまま片方の台詞を言わねばなりません。カタチや段取りだけでは決して通じない感情世界。手には人形、私は図書之助、口は二人、動きは混ざり合い溶け合い…。 日頃ひとりで何役も演じている私ですが、この二役の感情の同時進行は極めて大変な演技でした。 息切れがしてしまい…。その息切れに呑まれずに相手役の台詞。あの鬼のような稽古がなければ務まりませんでした。見ている側にはごく自然なこととして、簡単に出来ている…と思わせるくらいでなくては物語の世界には入って頂けないからです。 慣れていない演技はあるものの、無事に幕が降りました。 今回の公演終了後は中々席からお客様が立ち上がらなかったそうです。 そして劇場前にもかつてないほどしばらくお客様が残っていたそうです。 現在、事務所の意向で終演後ロビーには出られない私。スタッフの面々から聞いた終演後の場内の様子は独特な満足感で満たされていたそうです。 芝居にはまだまだ多く課題がありますが、これほど再演を望まれた公演はないかもしれません。 このところ更なる進化を遂げることの出来た「毛皮のマリー」、それをも超える作品だ…と沢山の方々に大変喜ばれました。嬉しい限りです。 お蔭様で、来年の上半期に再演が出来るかもしれません。お楽しみに。 2006年「夏~秋」その2へ続く。 PR |
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