2024 04,25 17:46 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2006 12,08 23:15 |
|
2006年「夏~秋」の日記・その2です!
●11/1(水)~12(日) 「天守物語」公演翌日1(水)、搬出作業。劇場から白金の自宅倉庫を荷物を運びつつ、岐阜県での大人向け公演で使用する道具類をピックアップ、初台の事務所に移動して梱包作業。岐阜県用荷物無事発送。天守モードからハナックモードに帰るべく色々と気持ちの準備。 3(金)岐阜県、のり日。急遽前日仕込みが出来ることになり、予定より早く岐阜県入り。 夕方から夜にかけて仕込み。 岐阜県内ツアー2006第二弾・シアタースタート事業。 いよいよ始まり! 揖斐→神岡→益田(荻原町)→益田(金山)→大垣→各務原→大垣 というスケジュール。岐阜県は大きい!そして今回はその岐阜県内を横断! 同じ岐阜県内でも地域によって町も自然風景も人も皆違う。これまで何度も足を運んだ岐阜でしたが、新たにまた岐阜県を知ることが出来ました。そしてとにかく沢山の、沢山の方にお世話になった。 とにかく私は自前の車が無いので、舞台で使用する道具類と私自身を各地の主催者から主催者を繋ぎ現地の皆さんの車で運んで頂くわけです。なかなかの長い道のりでしたが、お蔭様で神岡の方へ行く道中では随分紅葉を楽しませて頂きました。各主催者の方との交流会も本当に面白かった。皆さん個性豊かで、皆さんが印象に残っています。ビックリする程美味しく自然な味の柿や初めて食べた名産「ほう葉味噌」の豊かな味に感動しながら(大量に買って帰ってしまった)、素敵な出会いの目白押しでした。ひとつの作品をこれだけ続けて上演出来たことは非常に幸せなことでした。そして何よりこのブックスタートならぬ「シアタースタート」という企画。これが素晴らしいではありませんか!今後の私の最も大切なプロジェクトのひとつとしてこれからも関わり実施しつづけてゆきたい。そう思いました。今回のツアーで得たことが沢山あります。 子どもの感じる力をもっともっと信じなくてはいけない。そして子どもの眼の輝きひとつひとつをもっと大切に拾いたい。子どもと過ごす時間を豊かにしたい。劇場デビューというたくさんの子ども達を前にして、多くの決心と決断を与えてくれました。 「劇体験」 それはもしかすると、1歳・2歳の子ども達にとっては初めて家族以外の他者とコミュニケーションする場かもしれない…と思いました。 舞台での劇と客席にはコミュニケーションが発生します。コミュニケーションが成立していない舞台が「つまらない舞台」になる。と僕は思っています。 映画やテレビやゲームではこの生での感情のやりとりはありません。 時代が進むにつれ、直接人に会わなくても、物を買ったり勉強したり出来る時代になってきています。 これがゆき過ぎてしまうと人間の在るべき豊かさがどんどん消えてゆくような気がします。 ゲームでする「遊び」はリセットが出来ます。好きなところで辞められます。けれど人間関係にはリセットが無く、命は尊く、そしてコミュニケーションは好きなところでは辞めることができません。だから「人」は「豊か」なのです。このところ、お金や物があることが「豊か」とされるようになっている気がします。人とコミュニケーション出来ること、これこそが「豊か」だと僕は思っています。 観るものがあらゆるイメージの世界をのせながら、想像力と創造力を駆使して体験する「人形劇」には、人間の本来在るべく豊かな「人間力」を育てる最高のエッセンスが鏤められているように思えてなりません。 0歳、1歳の子どもが母親と共に観劇に来る。お母さんにしがみついて劇中のほとんどは母親の顔しかみていなかった子もいるかもしれない。けれどそれでも良いのです。母親とひとつの同じ時間を共有したその「事実」が子どもの心の中に幸せな体験として、潜在意識のなかにうえつけられ「豊か」な人になるのです。観られるときには少しずつ舞台を観る。ひとりで観られるときにはひとりでじっくり観る。大人になってその舞台の記憶が無かったとしても、舞台を観て感情が動き反応したその体験は否が応でも脳内を活性し豊かにし、感情表現豊かな「人」をつくります。 文部科学省が子どもの学力に対しどうのこうの、勉強時間がどうのこうのと騒いでいるけど、豊かな人間形成に必要なのは何よりも豊かな「文化」なのであるということを、早く“偉い人達”と呼ばれる人達がそれに皆気付いてもらいたい。 今回このシアタースタート事業で政府に助成金を申請したとき、「ブックスタートはわかるけど…生の舞台を観ることと子どもの育成に何の関係があるのだ?」と言われたそうな。それを聞いたとき空いた口が塞がらなかったけど、それが現代の社会の現状なのかもしれない。 最近、大人の方が私の人形劇を通して始めての劇体験をしてくださる方が口々に言ってくれます。 ご年配の方は「自分の子どもが小さいときに人形劇を観せたかった…。どんなに豊かになったことだろう。」、そして若い方は「子どもが出来たら必ず人形劇に連れてゆく。人形劇を観るなんて考えもしなかった。」などと言ってくれます。本当に嬉しい瞬間です。 たった1時間程度の劇場体験が一生の生きる糧となるのですから…。そう、それだけに、私の仕事は責任重大なのです。劇場には始めて劇を体験する子(する方)が必ず居ます。始めての劇体験で私の人形劇が苦痛に感じてしまったら、その子は「舞台芸術」そのものを嫌いになってしまうかもしれません。私はオペラに対してが正にそうでした。小学生のときから文楽や大人が観る演劇も大好きだった私。しかし日生劇場で観たあるオペラのお陰で、私は10年間もオペラに触れるチャンスを失ってしまいました。そう、その日生劇場でのオペラがトラウマになってしまっていたのです。今は素晴らしい方々との出会いにより超オペラファンですが、その方々に出会わなかったら今も尚オペラで得るあの深い感動えを味わえずにいたでしょう。 そうです。プロであったとしてもアマチュアであったとしても、一般観客に「劇」を観て頂く以上、責任は一緒です。重大なのです。 「人形劇というと子どものときに観たつまらない印象しかなくて…」その原因となる舞台をしてはいかんのです。例えヘタクソでも子どもに伝えたいメッセージの核を持つこと。そして「文化芸術」に触れてもらうのだ…という誇りと心構えを持つこと。これをテーマに私は活動を続ける。 そんなテーマを見付けた尊い岐阜県内ツアーでした。 ツアー途中の空き日を利用して大垣市で企画された大人のための人形劇公演。 「ハンドファンタジーライブ」手による様々な演目を上演した。ギュウ詰め満員の客席。とっても盛り上がった。予定を大幅に延長しての公演となった。フリートークたっぷり交えながら公演にさせて頂いた。元気なお客様。本当に良いムードだった。19:00に開演して終演は22:00近かった。いやはやどうもすみません。「毛皮のマリー」の予告編(?)も出来て嬉しかった。いつか「毛皮のマリー」を大垣で上演しよう!ということで、その実現へ向けてダイジェスト版を上演した。 会場となったお洒落なダイニングバー「ミュージックジャーナル」に「ハンドラブ」などの演目もピッタリ!そして「よだかの★星」も独特な開放感に包まれて、いつもと一味違う表現が出来た。 ●11/13(月)~19(日) 13(月)に帰京。 14(火)休む間なく、港区の「あい・ぽーと」にてクリスマスコンサートの企画会議パート3 大分内容が具体的に練られてきた。楽しみ。 熱風邪をこじらしてしまったので病院へ。すごく流行ってる。 「0、1、2才のための人形劇場」を来年の2月、埼玉県にて初演することになった、その打ち合わせもこの日の夕方に。 とにかくこの11月は都内に居る日が数日間しかなく、都内滞在中はあらゆることに追われた。 16(木)静岡県、のり日。 当初昼には出る予定だったが、都内での仕事が多く出発を夜に変更。 ギリギリまで諸々の作業を事務所で済ませ夜に出発。 現地での移動が多いのと、フェスティバルのため現地スタッフが手薄ということもあり、今年のいなさは飯田と同様、レンタカーを手配してドライバー兼スタッフを1名連れての動向となった。 正直、フェス側はそこまでの予算を準備していないが、より良い状態で上演するため必要な決断だった。いなさ人形劇まつりの会場周辺にはホテルらしいホテルがなく、滞在は浜松市のホテルにした。そのため、なおさら車が必要となった。私はしっかり免許(マニュアル)を持っているが、しっかりペーパードライバー、自慢できないゴールド免許を持っている(去年の今頃の日記はその更新したときのことを書いているだろう)。体力的にもドライバーさんがひとり居るだけで非常に助かる。 さて、いなさ初日17(金)は分散公演として小学校での公演。体育館は難しい現場だが、ハナックに関しては雰囲気良くおさまる。公演後は子ども達との交流会。みんな可愛い。何人かに人形操演体験をしてもらったが嬉しそうにするその様子がまた可愛い。「簡単そうにみえるのに遣ってみると凄く難しくて全然動かない…。」その感想が嬉しい。いとも簡単に操っているように見せることが私の目標。「私にも出来るかも、私もやってみたい!」と思ってもらいたいのだ。 とにかく初日は昼食もとれない慌ただしさだった。予想外のことがつづき大焦り。なんとか無事に本番が終わりホッとひと安心。メイン会場へ向かう。 歓迎パーティーは残念ながら既に終了していた。 オープニングセレモニーに「人形のジョウくん」とダンボール人形劇場の「ライノルド(ライオンさん)」、「きり子(きりんさん)」と共に参加。毎年、出演劇団ほぼ全ての人形達が一堂に会するこのセレモニー、とても楽しく貴重な時間だ。翌日の地元新聞にもこの場の様子がカラー写真入りで大きく載っていて楽しい。 さて、オープニングセレモニーの後は同会場にて人形劇団むすび座さんの「うみぼうやとかぜばんば」を観劇。大好きな作品。口をあけて喜んでしまう作品。出演者5名がとにかく忙しい。誰も休む場面なし。母なる海の壮大さをこれでもかといわんばかりに表現していて圧巻。昨年飯田で観劇したとき、2幕では長台詞が多く難しい演技が多くつづくせいか、その演技に少々弱さを感じてしまいやや眠気が…でしたが今回は2幕もしっかり観れました。これだけのテーマとメッセージを伝えるのはさぞかし大変なことと思います。 ホテルに戻ったときには少々遅い時間になってしまった…。 18(土)2日目、人形芝居くりちゃんの公演を観つつ会場の雰囲気を下見しつつ(その後に同会場で私だったので)、その後荷物だけを搬入して昼食をとりながら会場が空くのを待つ。 仕込み開始。順調に進む。この回のチケットは随分早い時期に売り切れてくださっていたようで。ありがたい。感謝感謝。満席の会場でいよいよ開演! ん~人形劇人が多すぎて決してやりやすい環境ではなかった…。台詞も増えすぎてしまった感あり。けれど一生懸命演じました。大きな笑い声に包まれ、とても良いムードでした。 夜は百鬼どんどろさんの「卍 まんじ」を観劇。ややグロテスクですが、とっても楽しかった。 理解できない方も多いようですが、近年の日本人の生活リズムとは温度差があるかもしれません。前世の記憶がそれとなくある私は、なんだか不思議と理解することが出来、楽しめてしまうのです。 19(日)は前日と同じ会場にて朝早くから「お花のハナックの物語」 前日に台詞の量が多いと指摘され私もそう思い大幅にカット。メッセージがシンプルに伝えられたと思う。場内が賑やかになればなるほど台詞を増やしてしまう傾向が私にはあった。 これを機にその辺が私自身大幅に変わった。それは後の千葉公演、京都公演で明らかになる。 ハナック上演後は次のカンパニー「燕屋」さんがあるので迅速にバラす。 お部屋がすっからかんになったところで二日間お世話になった会場内を掃除機で心を込めて掃除。ほこりの量に驚いた。 昼食後「人形劇団パン」さん、「燕屋」さん、「人形劇団くぐつ」さんを観劇。 くぐつさんの「びんぼうがみとふくのかみ」に私は泣いてしまった。 お二人の人間味溢れる演技や進め方に感動。戯曲も素晴らしい。人形の動きの構成も二人の「手」を最大限に活かし工夫していて面白かった。 ほんとうなら福の神が来ることのほうが喜ばしいことなのに、貧乏神と“あにさ”と“よめさ”のあいだに生まれた絆に子ども達が感動し、福の神が来たときにはその福の神を憎らしそうにする子どもたちの様子に、あ~この物語の本質的テーマが深く伝わっている…と感動してしまった。 たとえ貧乏神でも、お守りくださる神様に手を合わせる“よめこ”のたたずまいにまず感動してしまった。そして、“あにさ”と“よめこ”の互いを慈しみ尊敬しあうその会話にも何度も感動。本当の豊かさは福の神がやって来る前にしっかりと存在していて、あのラストシーンに訪れる幸福の様は、夫婦があたたかい絆でつくりだした結果に過ぎないというこの物語の根幹にある深い深いテーマをじっくり丁寧に見せてくださった。お二人に感謝です。 本当に幸せな気持ちで今年のいなさを締めくくりました。みなさんありがとうございました。 スタッフ関係者のみなさんはまだまだ事後処理が大変でしょうが頑張ってください。 静岡からの車での道中、東京で降りてしまいたいところをこらえて千葉を目指す。と言っても千葉の奥地。道のりは本当に長かった。気が狂うかと思うほどの長距離。しかし大変なのはドライバーさんだろう。次週公演の主催者宅に「お花のハナックの物語」の荷物を届けるのが目的。日曜の夕方に静岡を出て、到着したのは深夜。その後帰京と言う危険で無謀な計画を立てていたが、結局その主催者宅に一泊お世話になった。回りにホテルと名の付くものはラブホテルしかなかったので致し方ない。しかしそのお宅で頂いたカレーがあまりに美味しく涙が出るかと思うほどだった。カレーさん、僕たちを待ってくれていたんだね…とか言いながら真夜中ということもあり不思議なテンションになっていました。 ●11/20(月)~23(木) 静岡から千葉を経由しての帰京。到着は月曜の夕方。早速事務所にて溜まった郵便物に手を付け滞った仕事に取り掛かる。片付けを深夜まで。 流石に翌日は夕方まで眠らせてもらった。しかし夜には打ち合わせ。 貴重な都内滞在時間を利用して打ち合わせが続く。 新キャラクター「てるてるジョウくん」の人形、制作作業開始。実寸大の設計図も書き上げ、ご協力頂く人形作家さんに提出。海外公演の打ち合わせ、「星の王子さま」の音楽についての検討会議などもこの数日間のあいだに行われた。 ●11/24(金)~27(月) 24(金)千葉県入り。前日仕込み。植草学園短期大学の学園祭の出し物として、ダンボール人形劇場「お花のハナックの物語」をお呼び頂いた。お手伝いのも頂けたお陰で仕込みは順調に迅速に進んだ。この日は仕込みのあと、頼まれていた植草学園の人形劇サークルさんへのミニ講座を行った。30分くらいの間に、人形で劇を演じる上での注意事項と心得や工夫を実演を交えダダダダダッ!と語った。ホワイトボードがあったお陰で色々と説明が段取り良く行えた。彼らが実際に使用している人形を私が遣って説明したのが効果的だったのかも。「同じ人形とは思えない」と感激して頂けたので良かった。講座を設けた甲斐があった。 この日は一旦帰京。 25(土)朝早くに出発。この日はマネージャーさんも同行。 大人の(ご年配の)観客が多く、お子様は数名。そのせいか、かつてないハナックが演じれた。 子ども達の賑やかな声の中で演じるのも良いが、大人が多いため、じっくりと台詞を語ることが出来た。台詞も増え過ぎず、そしてクドイ繰り返しもなく、シンプルにメッセージを伝えることが出来たと思う。 どんな人の前で演じるときもこれがいいのだ!人の気持ちが入り込む余地をつくれる演技をせねば…!いつも心掛けていることでしたが、また改めて強く実感させられました。 そのまま千葉の親戚宅に滞在。 26(日)は祖父が設立した教会の礼拝に参加。私はクリスチャンではないが、この礼拝には出来るだけ参加したい。何を信仰するかは人それぞれだが、「祈りを捧げる」という行為は人間に無くてはならない行為だと思う。皆が祈るその様子はあまりに美しかった。 挨拶を求められ、急なことで一瞬戸惑ったが、皆に心からの感謝の気持ちを捧げた。そして、天国に居る祖父へのお礼の気持ちを込め、翌日、祖父が教会と共に設立した保育園で人形劇を上演することを伝えた。私は今、ただただ人形劇を上演することしか出来ない…。そう伝えた瞬間、何故か涙がこらえきれず溢れだしてきた。理由がわからない。何かが降りてきて体が泣いているような感覚だった。戸惑いはあったが決して不快な感覚ではなかった。 礼拝のあと介護施設に滞在中の96歳になる祖母に会いに行った。 目は閉じたまま、言葉はもう話すことは出来ないけど、伺った3人と祖母とのあいだで、充実したコミュニケーションが成り立っていたような気がする。 祖母が脳細胞のどこかで我々と会話をしているのをひしひしと感じた。 車椅子に座り、目を閉じ、うつむいたままでいる祖母をフロア一周のお散歩に連れ出す。 「みてみて、おばあちゃん、紅葉がきれいだね~、今日は良く晴れてるね~。」 見晴らしの良い廊下に介護福祉士さんが我々が座るための折りたたみ椅子を運び出し並べてくれた。気持ちの良い日差しの中で、しばらくおばあちゃんと一緒に過ごす。3人で小さく賛美歌を歌い始めた瞬間、それまで一度も開かなかった祖母の目蓋が開き始めた。 そして共に伺った方が祖母の手を強く握りお祈りを始めた。偉大な功績を納めた祖母への盛大な感謝の気持ちを込めた祈りの言葉はあまりにありがたく、込み上げずにはいられなかった。血縁関係もなく親戚でもない彼女がここまでの美しい言葉で祖母を賛美し、尊敬を込め敬意を払うその様子は、忘れられない瞬間となった。 僕は祖母の耳元で宮沢賢治さんが作詞・作曲した「星めぐりのうた」を歌った。 僕が「よだかの★星」を演じる前にいつも歌っている曲。 祖母はゆっくりと顔を動かし、筋肉の機能を精一杯駆使してリズムを取りながら聴いてくれた。 歌い終わりと同時に高く顔を上げまたうつむいた。 「また来ますからね。待っていてくださいね。」と耳元に話しかける。 うむっ、うむっ、と小さく力強くうなずいていたおばあちゃん。 おばあちゃん、いつも一緒にいられなくてごめんね。けれど僕精一杯人形劇頑張るからね…。 27(月)、祖父と祖母が今から60年程前の戦後間もないころに設立した「愛光保育園」で、祖父と祖母への感謝の気持ちを込めて、ダンボール人形劇場「お花のハナックの物語」を上演させてもらった。 祖父と祖母の方針が受け継がれているのか…、私立保育園にも拘らず遠方からもこの保育園に預けたいという方が続出し、入園待ちが何人も居る状態が今も尚続いている。凄いことだ。 前日仕込みをしておいたので当日はウォーミングアップのみ…のはずが照明のことで色々準備が手間取ってしまった。とは言え無事に上演が始まった。 開演前は迫力のあるダンボール人形達を怖がり座りたがらない子が何人かいた。大丈夫かな…と心配したが、始まってしまうとそんな心配はどこへやら…。子ども達は夢中になってハナックを応援し、近づく動物達に手を伸ばした。「ゾウさんの耳の風で草が揺れてるよ~」と言うハナックの台詞で子ども達は皆、こちらが何も言っていないのに自らが手を伸ばし草となり楽しそうに揺れた。これ頂き!今後は子ども達にこの場面で草になってもらおう。 それにしても保育園公演の一体感は独特なものがあり面白い。これは劇場にはないまた別な魅力だ。天井の高い保育園、一足早くクリスマス発表会用の舞台の幕やらなんやら仕込んでおいてくださっていたお陰で、また一段と舞台の雰囲気が盛り上がった。 夕方、上総一ノ宮を後にして東京へ戻る。 東京に戻ってすぐ、事務所にて仕事。週明けのため諸々の対応に追われた。 ●11/28(火)~30(木) 28(火)、午前中、花園神社で行われている酉の市へ。不動明王を信仰している私(私は酉年で、酉年生まれの守り本尊は不動明王)、そして「28日」はお不動さんの日、そして私の生まれた日付は「28日」、今年の酉の市の三の酉は「28日」、この日に酉の市に伺えることが嬉しい。 お仕事の繁栄を願う秋の風物詩。毎年、飾りの付いた「熊手」を買い替え、徐々に「熊手」を大きくしてゆく。全国規模での儀式かと思いきや、関東が中心のようだ。 3年前、3千円の小さな熊手から初め、徐々に大きくなってきた。 急激に大きくしてしまいたいところをグッとこらえて、一段階大きいものを今年も買う。 人の紹介で、今年は一生お付き合いしたい熊手屋さんと出会うことが出来た。 空を見上げ、高らかに精一杯、祈りの口上を言ってくれた熊手屋さん。本当に心を込めてくださっていたのがわかりました。来年も宜しくお願いします。 事務所のメンバー全員で一緒に伺えたことも嬉しかった。全員での昼食の後、東久留米の某工房にて、「毛皮のマリー」の人形の修理・改善作業。そして「てるてるジョウくん」の制作指示。 夜は市川の整体へ。かなり久しぶり。満足なウォーミングアップが出来ずに開演ということが度々あったこの数ヶ月間。また稽古や本番、足の怪我をかばいながら生活で、体が少々ゆがんでいる。治療はかなり痛かったが懸命に耐えた。 29(水)仕込みが夜中となるため、睡眠をお昼までとらせてもらう。 夜に出発。「毛皮のマリー」の荷物を積み込み、いざプーク人形劇場へ。 仕込み開始は22:00からスタート。 この劇場での「毛皮のマリー」の仕込みは慣れたもの。とは言え、それなりに時間はかかる。 アルバイトの方には終電で帰って頂き、照明さんと舞台監督さんと事務所スタッフが深夜1:00まで作業。全員、1台の車に乗りそれぞれの自宅に帰る。私を初めに降ろして頂いた。戻ってからも諸々の準備があり就寝は朝方になった。 30(木)午後いちで小屋入り。 早速明かり合わせ。キッカケのほとんどない芝居(はじめと終わりだけ)。とは言え、基本仕込みのニュアンスづくりに時間がかかった。この日はプランナーが居なくオペレーターさんとの作業。季節感やその日の湿度、空気感で光の量への私の注文はわずかに変わるし、仕込み図通りに照明具を吊ればいつもと同じになるとは限らない。結局は人の手が作業を行っているわけで、その光の在り方を決めるのに少々時間がかかった。わずかな違いで印象が変わる。 この日は大変嬉しい追加公演。お蔭様でお客様もたくさん。 今年最後の「毛皮のマリー」全編の上演。緊張した。これまでにない演技がまたいくつも出来た。 終演後は、追加公演特別アフタートーク。 充実した楽しい話が出来た。質問も頂き、ありがとうございました。 そして追加公演御礼パフォーマンスとして「ハンドラブ」を上演。 「毛皮のマリー」のセットの真ん中に置かれたケコミ「遣い手が隠れるつい立」が妙にハマっていてお洒落な雰囲気に。「ハンドラブ」を上演できたことは私自身も嬉しかった。 これからいくつかのパーティーでもこの「ハンドラブ」が登場する予定だ。 いつもは後片付けのあと、ロビーにて交流会をするのだが、この日は皆翌日の仕事が早く、私も朝8時の新幹線だったので、スタッフ陣とロビーで丸くなって立ち飲み。しばし楽しい時間を過ごした。 2006年「夏~秋」その3へ続く。 PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |